お話のリストに戻る
トップページに戻る

第82話 自分の文章について考えてみた 2003/05/14

ポトフ亭のtuckyさんより「僕の言葉が好き」、「まるで毎日連載されるエッセイのよう。ある意味一番日記的かもしれない。シンプルだけど味わい深い。」などとお褒めの言葉を頂きました。おそらくこのパムゾウ的パームに書いているお話のことではなくパムゾウ日記のことをメインで言われているのだと思います。

僕の文章って、自分ではうまいとは思っていません。ただ伝えたいことは出来るだけ正確に伝えられているのでは、とは思っています。

●僕と文章(小さい頃の話)
僕は小学校から学生時代に至るまで日記やら作文やら小論文やらととにかく文章を書くことが苦手でした。はっきり言ってしまえば嫌いでした。なぜなら書けないのです。日記書いてください、作文書いて下さいと宿題を与えられても言葉が出てこない、ペンが進まないのです。書こうとすると、「今日の晩御飯は美味しかった」とか「この本は面白かった」くらいしか言葉が出てこなかったのです。今思えば「うまく書こう書こう」とするあまり頭がフリーズしていたなと思うのです。

●文章が好きになったきっかけ
会社に入ってからも文章を書くのは嫌いでした。業務報告やらレポートはなんとか書いていましたけど、嫌で嫌でしょうがありませんでした。それがなぜに今のように文章を書くことが好きになったか?

どこかで書いたかと思うのですが、山川健一さんの「日曜日のiMac」という本がきっかけでした。山川健一さんの本に触れたのはこの本が初めてのことで、あぁ、こういうふうに書いていけばいいんだと気づいたのです。そして、思ったことを感情のおもむくままに文章を書くことが大切だということにも気づいたのです。うまいとか下手とか関係なく、ただ「自分の頭の中にある感情を書く」。出来るだけ正確に。

当時、VAIO C1を購入したばかりで毎日、仕事から帰ってきたら日記をつけるようになりました。一日の中で感じたことを僕なりの下手な文章で書くようになったのです。そのうち外出先でも書きたいと思うようになり、紙のノートを持ち歩くようになり、やがてはJornada680というCEマシンを手に入れて、頭に浮かんで忘れる前に書く、という習慣をつけるようになりました。そりゃもう無茶苦茶な文章ですよ。前後関係もよく分からない。でもとにかく書いていたのです。誰にも見せることのない僕だけの日記。僕だけの言葉、言い回し。この習慣によって頭の中にある感情がすらすらとテキストで出てくるようになったと思います。

●うまくなったきっかけ(うまいとは思わないけど)
僕は自分の文章がうまいとは思いません。そもそもうまくなりたいとも思っていません。文章はうまいか下手ではなく、どれだけ感情がこもっているか、メッセージがこめられているか、ここが重要だと思います。僕の文章にどれだけのものがあるか、なんて自分では判断出来ません。ただ、もしかするとこれがあったから今のような文書が書けるようになったのでは?というのはあります。

ラブレターです。

妻と結婚する前から、付き合う前からメールのやり取りをしていました。もうメールでのアプローチがメインだったので心を込めましたね。一生懸命、妻の気をひけるように頭を使いました。一通一通大切に、時間をかけて一生懸命に書いていました。このときは本当に頭を使って疲れました。でも、この目的意識をもった文章を一生懸命、汗をかきながら書いていたことが血となり肉となったのだと思います。妻を自慢するわけじゃないのですが、妻って文章うまいのです。うまいだけじゃなくてすごい文章を書くのです。本屋の娘でもあるし、大学がそういうことを訓練するところだったというのも大きいでしょう。とにかくすごい密度の濃いメールが僕のところに来ていました。だからこそ僕も対抗して頑張ったというのがあります。

●結果として今のスタイル
自分の文章にある程度の自信がもてるようになったし、責任感がもてるようになってきました。言葉だけじゃ伝わらないことって多いのだけど、出来れば、出来るだけ言葉で表現したい。そういう思いが心の奥底にあって、僕の頭が、キーボードを叩く手が、指があります。漢字もろくに読めないし、難しい表現も出来ないけれど、僕は今のスタイルが好きだし、まだまだこれからも鍛錬していきたいなって思っています。